小竹 春妃
私は最近、救急車を呼ぶ人の半分以上が軽傷者で、呼ぶ場合の限度を考えてほしいというニュースを見た。例えば、足をつったり、靴ずれができたりして呼んでいる人がいるらしい。私は、その話を聞いてとても驚いた。それらの怪我は、救急車を呼ばなくとも解決できるものだからだ。本当に大事な病にかかったり、大変な交通事故で負傷したりした人が救急車を呼んだ時、到着に遅れるとなれば、それは大きな社会問題である。私は、救急車を呼ぶ場合というものを、きちんと学んでおこうと思った。
しかし、なぜ軽い傷でも、救急車を呼ぶ人が一定数いるのだろうか。その答えは、すぐに分かった。日本では、救急車を呼んでも、自費で払わなければならないお金が発生しない。これが、彼らが救急車を呼ぶ原因の一つだろう。では、救急車は誰のお金で呼んだり、利用したりすることができるのだろうか。インターネットで調べてみると、「税金」という二文字が私の目に入った。私たちが利用している救急車は、私たちが納めている税金で動いているというのだ。日常的に納めているものが、命を救うための動力となっていることを知り、私は、きちんと税を納めなければならないんだなと改めて思った。そして、皆が納めた大切な税金を、軽い傷等で救急車を呼んで支出してしまうのは、控えるべきだと思った。
また、外国では、救急車を呼んだり、病院での診療を受けたりすると、多額の費用を自分で負担しなければならないことを知った。そのため、経済的に厳しい家庭は、病気にかかっても、医療機関に頼ることが難しいそうだ。日本では、診療代の約8割ほどを税金が負担してくれる。日本に住んでいる人の当たり前は、外国の地域によっては当たり前ではないことを、私は知った。そして、その当たり前は「税金」によって支えられているのだなと思った。
私はこの「税についての作文」を書くことを通して、「税金」と私たちの健康にはとても深いつながりがあるのだなと思った。私は今まで、税を納めることにあまり良いイメージを抱いていなかった。しかし、今では、私たちが納める税金が、日本に住む人たちの健康を少なからず支えていることを知り、以前のイメージは消えている。
これから年を重ね就職し、自分で納める税がさらに増えても、きちんと納めようと思う。「税金」を納めることは、人助けをすることと等しい行為だ。