高林 心海
私は、毎年お盆の時期になると、祖父のお墓参りのために高野山に行く。真夏の8月でも、朝や夜には20度くらいまで気温が下がり、夏はとても気持ちの良い場所だ。高野山には、たくさんのお寺があり、その周辺にはおみやげ屋や仏具がとても多いのだ。私は、この高野山がかかえている一つの問題について調べることにした。それは「観光地の町の維持問題」だ。
高野山は、歩いたり、バスに乗ったりして一つ一つお寺などをまわって観光するのが多い。それにより、食べ歩きをしている人をよく見かけるが、ごみが道に落ちているのは、あまり見ない。調べてみると、高野山に住む町の人や職員の方が、景観を維持するために「ポイ捨てのごみの回収を早朝にしている」ということがインターネットに記載されていた。これが、住民の負担になっているのだ。
しかし、高野山では、過疎化が進んでいる。過疎化が進む中で、観光地の景観の維持は限界をこえてきてしまっているのだ。
令和5年に高野山を訪れた観光客が約139万7,700人だ。そのうち外国宿泊客数は9万3,900人だ。高野山の人口が2,641人なので、はるかに観光客が上回っている。数を見比べただけでも、住民への負担がとても大きいことがわかる。
そこで、高野山では色々な「税」を検討しているのだ。「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する高野山は、世界遺産に登録され20周年を迎える。そこで、「オーバーツーリズム」対策を目的に「入山税」のようなものを予定しているのだ。「オーバーツーリズム」とは人気の観光地を訪れる人が増加しすぎて、地域や住民に負担をかけてしまうことだ。この「入山税」は、人口が減少していく中で、観光客も利用するインフラの維持のための費用を確保するのが目的なのだ。このように、町が観光客に課税する法定外税により、高野山の住民の負担が減り、過疎化に対応する良い方法ではないだろうか。「税の負担」の始まりは、誰かが負担していたことを周りの人々が、協力することで、始まったのではないだろうか。多くの人々が少しづつ分け合って負担することで、助かる人々がいると思う。税の本当の役割は、こういう事ではないだろうか。
税の歴史は、3世紀頃の邪馬台国の時代までさかのぼる。この時代に「税」が始まったとすれば、何か問題が起きて、それを解決しようとみんなで集めた「税」を使ったのかもしれない。だとすれば、私は、普段買い物で支払う消費税も、気持ちよく支払うことができる。なんだか、国を整えるのに役立っている気分だ。これからも、日本で起こっている問題や人々の生活のために「助けるための税」として「税金」が使われていくことを願っている。