貝谷 彩規子
私たちは、九年もの間、義務教育を受けることができる。それに、教科書は無料でもらえ、無償で教育を受けることができる。
そして、警察や救急にも電話をしたらすぐに来てくれて対応してくれる。もしも、いてくれていなかったら、日本は治安が悪くなっていて、安心に暮らせなかったのかもしれない。
それが当たり前になっている現在。教育を受けられることが幸福だと感じられなくなってきているように感じる。
日本より貧しいネパールやラオスでは、「学校がたりない」とか「学校に通いたくても家計を助けるために通えない」などの理由で学校に通えない人がたくさんいます。
よく、私たちは、「今のこの勉強が将来に役に立つのか。」といいます。確かに就く仕事によっては、役にたたないかもしれない。けれど、大人になったら中学までの数学ができることが常識だろう。将来、したい職業が見つかったときに、あの時にきちんと勉強しておけばよかったと思うかもしれない。
たまに、動画で「生活保護を受けている人は税金泥棒だ。」とされているものを見る。病気などにより働けなくなった人に生活保護が支給されていることは知っている。けれども、もしなくなったらその人は食べる物も住む場所もなくなり、亡くなってしまうかもしれない。そうならないように支給されているのであって、決して税金泥棒ではないと思う。
それよりも、税金で学校に通えているのに、しっかりと勉強しない方が税金泥棒だと思う。貧しい国では勉強することができず、働いている人もいるのに。
このまま、勉強の意識が低下すると日本はどうなるのだろうか。もしかしたら、GDPが低下するかもしれない。先進国からはずされるのかもしれない。
これからさらに科学が発展していくだろう。そして、たくさんの外国人が日本の職業に就いていくだろう。外国は、競争社会が多い。その中を戦ってきた人々に日本人はどのようにして対抗していくのだろうか。
義務教育により、全ての人が教育を受けられ、格差は軽減しているだろう。けれども、これからは学習意欲をどれだけ高められるか。そこが課題になるのかもしれない。
日本のため、そして世界のために私は何ができるだろうか。まだわからない。けれども、今できる勉強を一生懸命にがんばろう。それが世界の発展につながると信じて。