和歌山県租税教育推進連絡協議会

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大阪国税局長賞
私が生まれた理由
日高川町組合立大成中学校 2年
文蔵 理世

私が生まれた理由。私がこの世に生まれて来れたのは、周りの人、そして、社会の助けを得て、父が重い病気から回復できたから。

15年前の5月の夕方、父は倒れた。高いいびきをかきながら床に横たわる父を最初に見つけたのはいとこの姉だった。異常な雰囲気を感じ取り、泣きながら母と叔母の所に走ったという。祖父を病気でなくし、高いいびきが危険な症状と知っていた母は父を介抱する一方で、叔母に即救急車を呼んでもらった。

あっと言う間に救急車が来てくれた。病院でもお医者様が待っていて下さり、すぐに処置、検査が行われ、「くも膜下出血」と診断された。中大脳動脈が枝分かれするところにできた先天的なこぶが破裂したという。そして、その夜遅く患部をチタン製クリップで止める手術が行われた。

ドラマでは、手術室から出てきたお医者さんが「手術は成功です。」と言って、みんなの笑顔でハッピーエンドを迎える。けれど、現実はそう簡単ではない。

父は、手術が成功してしばらくの間意識を取り戻したものの、すぐに意識不明の重体に陥った。出血すると脳が腫れて頭蓋骨内部の圧力が上昇し危険な状態になる。父の場合は、数日間生死の縁をさまよった。とても危険な状態は脱しても、危険な状態はまだまだ続く。くも膜下出血発症後3~4週間は、脳血管れん縮や水頭症のおそれがあるためだ。「病院に運び込まれるのがあと1秒遅かったら、亡くなっていたでしょう」。危険と言われる数週間が過ぎた時、主治医の先生がおっしゃった。もし、救急車がすぐに来てくれなかったら、父は助からなかっただろう。健康な時には気付かないけれど、一刻一秒を争う場面で、信頼できる消防救急サービスがあるということは何てありがたく、心強いことか。

命の危機が去っても、今度は厳しいリハビリが待っている。ベッドに寝たきりだったので、最初は病室の壁の伝い歩きから始めた。この頃いろんな人がお見舞いに駆け付け、励ましてくれた。2カ月半の入院、2回の手術を経て退院する時、回復できた幸運に感謝しながらも、まず直面するのがお金の問題だった。でも国民健康保険に加入していれば、自己負担分は3割、その上、高額療養費制度を利用できる。日本の医療制度は病人の療養の援助だけではなく、社会復帰への不安を軽減し生きる勇気を与えてくれた。

くも膜下出血で倒れた場合、死ぬか、寝たきりになるか、社会復帰はできるか、確率は3分の1だという。重症だった一命を取り留め、社会復帰できたのは、周りの人達と日本の医療制度がもたらした奇跡だと思う。

こうして奇跡的に回復し社会復帰を果たした父が、この世に生き残った証として私が生まれた。父の口癖は、「自分一人で生きていると思うなよ。」だ。この言葉の意味をかみしめながら、私は生きていく。

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