藤原 彩陽
「ずっと一緒に居れることは、当たり前ではなくて。お盆、お待ちしています。」
今年のお盆、祖父の初盆のために母の実家へ行きました。
その時、仏壇の前に置かれたお供えの側に、その小さな紙片があったのです。
母の字で書かれたその言葉を目にした瞬間、胸が熱くなりました。
祖父と過ごした時間は、決して当たり前ではなかったのです。
紙片の言葉に触れたことで、改めて祖父の人生やそこに関わった人や制度、そして祖父自身の努力を思い返しました。
私の祖父は、戦時中に樺太で生まれました。
終戦後、わずか5歳で引き揚げ船に乗り、日本へ戻ってきたそうです。
帰国後は貧しい暮らしの中で育ちましたが、「学びたい」という強い思いを持ち続けていました。
やがて祖父は、村の病院で数年間務めることを条件に、税金でまかなわれる制度を利用して大学に進学しました。
そして、放射線技師としての技術を身につけたのです。
卒業後、約束通り村の病院で働き始めた祖父は、その数年の約束以上に、65歳まで働きました。
さらにその後も、人手不足の現場を支え、地域の役に立ち続けたそうです。
今年、80歳で亡くなる直前まで、私を笑わせてくれる楽しいおじいさんでした。
祖父はよく、
「税金は、ただ取られるだけやないんやで。みんなで集めて、困っている人や必要な場所に使うお金なんや。」
と話していました。
祖父自身、税金によって学ぶ機会を得て、技術を身につけ、村の医療を支えることができました。
その経験から、税金への感謝を生涯忘れなかったのです。
私はまだ高校生で、直接税金を払う機会は多くありません。
しかし、祖父の生き方や母の言葉から、税金は単なる数字ではなく、人と人をつなぐ「見えない橋」だと感じます。
祖父が受けた支援は、村の人々の医療を守り、その恩はまた次の世代へ返されていきました。
私は祖父の歩みを知り、税金は単なるお金のやり取りではなく、人の夢や健康を守るために使われてきたのだと実感したのです。
お盆に見た小さな紙片は、祖父の思いと共に、私の中に強い問いを残しました。
これから社会に出て税金を納める時、「仕方なく払うお金」ではなく、「未来を支える参加費」として考えたいと思います。
さらに、祖父がそうであったように、私もまた見えない誰かを支える一員となりたいです。
その姿勢を忘れないことが、祖父から受け継いだ最大の贈り物だと考えています。
税金が生み出す安心を次の世代につなげていくことこそ、社会の土台を築く大切な営みだと強く感じました。
これからの学びや経験を通じて、その思いを現実に変えていきたいです。





