東 一希
今日も私の心臓は、規則正しく音を立てている。当たり前のことかもしれないが、私にとっては大きな喜びだ。
その理由となる出来事は、小学校高学年の頃に初めて起こった。ある日突然、鼓動が物凄い勢いで、速く大きく鳴り響いた。息苦しさに襲われ不安で仕方なかったが、しばらくすると心臓は規則正しいリズムを刻んだ。同じような発作が何度かあり、病院に行ったが原因が分からず、経過観察となった。
中学生になって、徐々に発作の頻度が高くなり、動悸の激しさも増していった。発作はいつも学校で起こり、授業中でも休憩時間でもお構いなしだった。
中学2年の春、帰宅後に発作が起こった。初めてその姿を目の当たりにした母はとても驚き、すぐさま自分のスマートウォッチを私につけ、心電図のボタンを押した。心拍数は200を超えていたが、発作は10分ほどで治まった。その記録を持って病院に行き、ついに「発作性上室性頻拍」という病名が判明した。それと同時に手術が必要になるだろうという説明を受け、大きな病院を紹介された。
夏に入院し、手術することが決定したが、当時はコロナ禍ということもあり、一人での入院を強いられた。入院、手術、全身麻酔という初めてづくしの出来事に、私の心は不安で押し潰されそうだった。それに加えて、私を不安にさせたのは、高額になるであろう入院費のことだった。
無事に手術が終わり、家族や医療従事者の方々に支えられて退院した私は、恐る恐る入院費について母に尋ねた。母によると私は、育成医療とこども医療費助成制度という2つの公費負担医療制度を利用できたことにより、自己負担額を大幅に削減できたそうだ。
育成医療とは、生まれつき身体に障害があり、その障害を除去・軽減する手術等の治療により、確実に効果が期待できる者に対し提供される制度である。私の場合、生まれ持った心臓のつくりが原因で発作が起きていたため、この制度の対象者となった。
こども医療費助成制度とは、市が医療費を助成する制度であり、現在私の住む和歌山市では、満18歳までが対象となっている。
私はこれらの制度によって、税金で医療費を負担してもらい、治療を受けることができた。私はこれまで「税金=払うもの」というイメージしかなかったが、この経験を通して、税金は誰かを支える救いの手だと考えるようになった。一人一人の力は小さいかもしれないが、それらが集まれば誰かを支える大きな力となる。私が支えてもらった分も、今度は私が困っている人を支えて、より多くの人が不安を感じずに生きられる社会を実現すべく、たくさんの人から受け取った救いのバトンを繋げていきたい。