打越 凌
私は、毎日高校に通っている。まず、家から駅まで自転車で走り、電車を利用して高校の最寄駅に着駅する。そして、そこから高校まで歩く。何ということのない「日常の一部」である。
今から11年前の秋。そんな「日常の一部」が奪われた。台風第12号によって、紀伊半島は甚大な被害を受けたのだ。その悲痛さは、私の身の回りにも感じられた。土砂崩れによる道路の通行止め。河川が氾濫し流されていく建物。線路に流れ込む大量の水と木端。その全てが危険でどこにも行くことができなかった。
しかし、今は違う。きちんと舗装されていてゴミひとつない道路に、時間通りに毎日運行する電車。11年の間に何があったというのか。すべては「税金」が支えていたのだ。
災害が起こった時は、がれき撤去や、道路や橋の復旧、それらをするための道具代や人件費などが必要になる。それらの多大なお金を被害者の方が払うことはできない。しかし、税金があると、被害者の方だけではなく、国民全員でその町や地域を援助し、生活できない状況を回復させ、国民全員で不自由のない暮らしを取り戻すことができる。
11年前も同様に、地域復興に向けて多くの税金がこの地で使われた。今も、その時に整備された道路や線路がしっかりと残され、機能している。
しかし、このような状態まで復興するには多額の税金が必要である。実際にこの10年間に災害の被害を受けた地域に投じられた国の復興予算は約32兆円にものぼるのだ。この事実を知って私はとても驚いた。これほどまでに地域を復興させることに力を入れるのか。どれほどのお金と人々の苦労で私はこの町で生活できていたのか。税金の重大さに圧倒された。
私たちが毎日払っている税金は、災害に遭ったどこかの誰かの暮らしを支えている。実際に私が住んでいる町も税金によって、恐ろしい姿から誰もが住みやすい姿へと回復した。きっと、私が住んでいる町だけでなく、同じように助けられた町が数多くあるだろう。そして、その町では税金によってつくられた道路や線路を利用してありふれた、それでいて計り知れない価値を持つ生活をしている人々がいる。税金が私たちの「日常の一部」をつくっていたのだ。
誰もが過ごしやすい社会をつくるために税金は必要である。税金が使われているもの一つひとつに感謝しながら一日いちにちを大切に過していきたいと思う。