山縣 広大
小さい頃から、ゴミ出しは私の仕事だった。決められた日に決められたゴミを、あたりまえのようにゴミ捨て場に持って行くと、あたりまえのようにゴミ収集車がやって来て、それを収集していく。とても日常的な光景だ。
しかし、何故ゴミはこうもあたりまえのように、こちらがお金を払わずとも収集されていくのだろう?その理由が「税金を使っているからだ」と知ったのは、小学校高学年の頃、初めて租税学習をした時だった。その時はまだ、「税金があるから暮らしは便利なのだ」ということが頭に入っただけで、それ以上考えることはなかった。
高校生となった今、私は、「それ以上」の事、「もし税金がなかったら」についてシミュレーションしてみようと思う。
「あたりまえ」は朝のゴミ出しの時点で崩壊する。ゴミ捨て場は単なるゴミ置き場となり、腐った臭いが辺りに漂い、病原菌が蔓延する。そういった中で生活をしていると、当然病気にもなるだろう。そうなれば病院に行かなくてはならないが、医療費に公費負担はなく、困窮している人には重荷となる。あたりまえのように受診できる訳ではないのだ。
無茶のある考え方かもしれないが、こういった連鎖は起こるかもしれない。それだけ、「税金がない」ということは重大な問題なのだ。
海南市では、二〇一六年から、高校就学前までの子供の医療費の自己負担が無料となった。これも、税金があるからこそ可能となったことで、私達の暮らしを良くするため、市が行ったのである。これも今では「あたりまえのこと」なのだろう。
「あたりまえのこと」は他にも数多くある。道を歩ける、信号がある、電灯が光る、警察が働く、救急車が出動する、そして、私達が学校で授業を受けられる。私達にも、税金の存在は重要なものなのだ。
これまで私が述べた事から、一概に税金とは、私達が住みやすい世の中を作るために集められ、使われるものなのだと言える。住みやすさはそのまま自治体の活力にもつながる。だから自治体は税金を使い、住みやすさを向上させようと働くのだろう。
私達も、あと幾年もすれば働き出し、消費税だけでなく、所得税や自動車税なども払うようになる。だから、今の内に、「あたりまえのこと」があたりまえに行われるのは、私達の納税という協力があるからこそなのだと、理解をすべきだと思う。