今井 佑奈
二〇一八年七月上旬、西日本に豪雨が襲い、街は一瞬にして変わった。死者・行方不明者は二百人以上に及び、五千棟を超える建物が全壊した。今もなお、四千人を超える人々が避難生活を強いられている。
私の住む地域は幸いなことに何事も被害はなかったが、日本の報道は、災害の悲惨さを伝える記事であふれかえっていた。私は無力である。でも人は集まれば大きな力になって人々を救う。テレビに映るボランティアに勤しむ同世代を見て、私もできることをしたいと思い、生徒会で募金活動を提案した。夏休みに近くのスーパーで一時間半活動し、九万千八百二十五円集まった。人のために尽くすことはどんなに素晴らしいか知った一日だった。
今回の災害もたくさんの日本の機関や団体が対応していた。数えきれないほどの企業から義援金が集まり、ボランティア活動が各地で行われ、被災地は希望の光が差そうとしている。しかし、それは一時的なものであり、二〇一一年の東日本大震災や二〇一六年の熊本地震も未だ完全な復活は遂げていない。そこで最後に被災者が頼りにするもの、それは日本という国である。
国と国民は対等である。国は国民に最大の奉仕をし、国民は税金を納めることで対等な関係を築いている。国民はきちんと税金を納めている。だから国民は国に、国民のためになることをしてほしいと思っている。この関係は崩れることがあってはならないと思う。
両親の給料は所得税を引いて振り込まれる。そこで初めて知ったのは、所得税に復興特別所得税が含まれているということである。これが国民の数だけ集まって復興に役立てられていることで日本の未来につながっていることがすばらしいと感じた。しかし、現状は上手く進まず、復興は本当に簡単なものではないのだと感じた。国としてできる事は限られていて、いくら景観が復活しても、個人の家を建てることはできないし、企業を再建させることもできない。完全復活は国の力だけでは難しいのである。だからこそ民間の力は不可欠であり、私たちにも存在意識があるのだと感じた。
私が提案したいのが、国と民間が力を合わせて復興・発展に力を入れることである。公的部分を税で復興させ、私的部分を民間がサポートする。順調に復興が進んでいるか国が調査し計画を詰めていく。日本という国が一つになり協力して日本を高めていく。「思いやり」の心を税が継いでいくと日本はさらに良い国になっていくのではないだろうか。
私はほんの小さな存在である。でも決して無力で無駄な存在ではないはず。たくさんの人と協力すれば、大きな力となって人々を救える。小さなことから積み重ね。人の役に立つ人間になりたい。「思いやり」の心を継ぐ税のように。